思想文化学 日本哲学史専修

上原 麻有子 教授
日本近代哲学
フェルナンド・グスタヴォ・ヴィルツ 助教
日本哲学

日本哲学は、比較的新しい学問分野です。明治初頭から西洋哲学が本格的に受容され始め、「哲学」という語が訳出されます。それから「哲学」という学問が開かれ発展してきたのです。日本哲学とは、その発展を通して日本独自の思考法や課題をもとに生み出された哲学だと考えられます。

明治以降、日本における日本語で書かれた哲学が、いかに形成され成熟してきたのかについて考究する。これが本専修の主な研究課題です。京都学派の知的基盤を形成した西田幾多郎、そして田辺元、三木清、西谷啓治、あるいは彼らと思想的に近い九鬼周造や和辻哲郎などに関心をもつ学生が、国内外から集まり思索を深めています。このような哲学者の日本語による哲学書を読むからと言っても、油断はできません。日本哲学はその由来からして、根本的に比較哲学です。テキストには、カントやヘーゲルなどの西洋的思想が、また一方では仏教や儒教などの東洋的宗教の概念や論理が綿密に織り込まれています。だから言葉は自然と難解を極めます。日本哲学の深遠な思想をじっくり読み解くためには、東西の思想をそこから掘り起す、外国語の原文も丹念に理解する、そして比較するという一連の作業が必須です。

しかし、難解なテキストの読解にどっぷり浸かった研究だけで終わるのではなく、さらにそれが、今、私たちの生活、人生に対して意義をもつにはどうしたらいいのか、このような発想にまでもってゆきたいですね。日本哲学の研究の可能性はまだまだ広がるはずです。

本専修は、毎年、次のような教育・研究に関する活動を行っています。数名の学生による国際学会での研究成果発表、日本哲学史フォーラム(年2回の公開講演会)の開催、『日本哲学史研究』(紀要)刊行。詳しくは、専修のウェブサイトをご覧ください。

最近の卒業論文

  • ・九鬼周造の偶然論における目撃する主体
  • ・西田幾多郎は「私と汝」のはざまに何を見たか
  • ・九鬼周造の押韻論と存在論

最近の修士論文

  • ・柳宗悦の民藝論――易行道をめぐる考察
  • ・清沢満之における「語り」の問題
  • ・鈴木大拙における「霊性」の立場と環境倫理の問題
  • ・マルクス主義の地平の廣松渉事的世界観
  • ・数学的関心を中心に見る二人の哲学者の邂逅

最近の博士論文

  • ・田辺元の種の論理
  • ・西田哲学とフッサールの現象学の比較

日本哲学史専修で研究しているイタリア、スペイン、台湾、ブラジルの研究者

西田幾多郎縁の哲学の道で、専修の大学院生とともに

文学部受験生向けメッセージ

脳や遺伝子の働きの解明によって、人間についてのわたしたちの理解は飛躍的に進みました。しかし、そのような研究は人間の一部分を対象にした研究です。人間を全体としてみたとき、人間とはいったい何なのかということを、それらは解き明かしてくれません。

また、そうした研究では、人間はどこまでも分析の対象として取り扱われています。しかし、私たちは実際には、一個の主体としてこの世に生きています。何のために生きるのか、どのように生きればよいのかといったことを、自分の問いとして問いながら生きています。

哲学は、このような問いに関わる学問です。そして日本哲学史は、とくに日本の哲学者たちが、いま挙げたような問いについてどのように考えたのかを、主たる研究の対象にしています。

しかし、むかしの人が書いたものを読んだり、理解することだけが哲学の内容ではありません。文献を通して理解したものを手がかりにして自分の意見をもつこと、それをめぐって他の人々と議論をすること、そしてそれを通して自分の意見をより豊かなものにすることが、たいせつな点です。

西田幾多郎『日本文化の問題』直筆原稿

現在、日本哲学史研究室で行っている研究や活動については、次のウェブサイトを参考にしてください。

日本哲学史専修ウェブサイト

大学院研究科受験生向けメッセージ

本専修ではいわゆる日本思想史ないし日本文化史と異なり、研究の力点を明治以降の日本の哲学の形成と発展においている。つまり西洋の哲学に出会った明治以降の日本の思想家が、そのなかに何を見出し、何を問題にしたのか、そしてその受容と対決のなかからどのようにして独自なものを生みだしていったのか、そのプロセスが主要な研究対象となる。

哲学史、つまり「哲学の歴史」のうち、「歴史」の面に重点をおいて、たとえば西田幾多郎や田辺元の思索の発展の跡をたどり、そこから問題を引き出していくということも可能であるし、逆に「哲学」の面に重点をおいて、言葉や身体、自己、歴史といったテーマを立て、主として日本の哲学者の思索を手がかりにしてその問題を展開していくということも可能である。またそのような考察を通して、日本の文化的・思想的創造の向かうべき方向を模索することも課題の一つであると考えている。

いずれにせよ、重要な意味を持つのは、日本の哲学だけでなく、欧米の哲学に対する関心と知識とを待ち、広い視野で日本の哲学を考察することである。日本の多くの哲学は、欧米の哲学との対決のなかから、あるいはそれを踏み台として生みだされたのであり、欧米の哲学を理解することなしにそれを十分に理解することはできないからである。日本の哲学者の創造的な仕事を評価することも、そのような視点からはじめて可能になると考える。

したがって履修にあたっては、西洋哲学に関する知識、欧語文献を読みこなす力が当然必須となる。そのために哲学・宗教学講座の他の専修の講義・演習等にも積極的に参加することを勧める。

しかしまた他方、日本の哲学の形成は、日本の、あるいは東洋の思想的・文化的伝統の上ではじめて可能であったのであり、そのような伝統との関連に注目することも大切であると考えている。あるいはそのような伝統そのものを研究することも可能である。

欧米の哲学と日本の哲学、あるいはアジアの哲学と日本の哲学との比較思想的な研究も重要な、またアクチュアルな課題であり、そのようなテーマでの研究を希望するひとも本専修で受け入れたい。

次のウェブサイトに本専修に関する詳しい情報を掲載している。

日本哲学史専修ウェブサイト

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