内陸アジア学推進部門 羽田記念館の沿革


ユーラシア文化研究センター(羽田記念館)について~『京都大学文学部の百年』より~

内陸アジア研究の発展に寄与した羽田亨博士の功績を顕彰するため、1966年に京都市北区大宮に設立されました。日本における内陸アジア研究の中心として、典籍のほか中央アジア、西アジアに関わる文献、約1万点を備えています。また、講演会、研究会、輪読会なども活発に行っています。

賀茂川に沿って加茂街道を上ると上賀茂神社へ渡る御薗橋に出くわす。その橋から西へ2丁ほど行った住宅街に一見して研究施設とわかる羽田記念館がある。本学工学部の故増田友也教授の設計されたユニークな2階建てである。この建物は本学第12代総長故羽田亨博士の内陸アジア研究における偉業を顕彰し、さらに後進に研究の場を提供することを目的として、三島海雲記念財団や武田薬品株式会社などの寄付を得て1966年に建てられた。以降、我が国における内陸アジア研究の中心施設のひとつとして、国際会議、講演会、研究会、あるいは個人研究に使用されてきた。また学術書の出版活動などもおこなってきた。とりわけ田村実造・今西春秋・佐藤長編『五体清文鑑譯解』(上下1966~1968年)や羽田明・萩原淳平他編『明代西域史料明実録抄』(1974年)はよく知られている。羽田記念館には、内陸アジアあるいは西アジアに関連する漢籍や、チュルク語、蒙古語、ペルシャ語、アラビア語、インド語などで書かれた書籍、さらに欧米の研究書、雑誌など合わせて約1万点の蔵書がある。若干ではあるが東南アジアやシベリア関係の書籍も保管されている。
羽田記念館は建設以来「内陸アジア研究所」として親しまれてきたが、その後研究対象地域は内陸アジアから徐々にユーラシア地域に拡大され、2004年4 月には現在の名称に改めて正式に文学研究科の附属研究所となった。

組織

本センターは、約10名からなる運営委員会によって運営され、文学研究科教員兼任研究員と外部研究員の合計約40名の研究員が置かれている。

研究分野と研究内容

本センターには歴史、言語、宗教の3つの主要研究分野がある。研究の方法は「内陸アジア研究所」時代以来の文献学的手法を重視しながら、一方で現地調査にもとづいた研究方法も取り入れている。

  • 歴史研究
    内陸アジア史研究において培われた実証主義的歴史学の伝統を継承しながらイスラム文明の中心地である中央ユーラシア地域、あるいはさらに広い地域の歴史を、イラン系言語、セム系言語、アルタイ系言語、漢語などで書かれた史料を駆使して、各地域の個別的研究を有機的に連関させ、広大な地域を流れる人間の歴史を動態的に研究する。
  • 言語研究
    イラン語、インド語、トカラ語、ウイグル語、西夏語、モンゴル語、チベット語などで書かれた中央アジア地域出土文献、さらにヒッタイト語、シュメール語など西アジア出土文献の言語について研究する。また、イスラム圏とシベリア地域に点在する「消滅の危機に瀕した言語」の調査記録の蒐集とその分析研究も併せておこなう。
  • 宗教研究
    ユーラシア地域には、イスラム教、仏教、キリスト教、道教など今日に伝わる大宗教のほかマニ教のように消滅した小宗教も多数ある。これら代償の宗教がこの地域の人々の生活・思想にどのように作用してきたかについて、古語文献にもとづいた研究をおこなう。

研究活動の公開

年に2度開催される「羽田記念館講演」は「内陸アジア研究所」時代から通算して55回に達する。講演はセンター員のほか、国内外の研究者を招いておこなわれ、すでに国際的にもその存在が知られている。このほか、各種講演会が不定期におこなわれている。また、定例の研究会が数件開催されている。

教育

ユーラシア古語文献研究の拠点として若手研究者養成の目的で、夏期休暇中に古文献言語の講習会が行われる。
(庄垣内正弘記)