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京都大学考古学研究室の最近の調査活動から

紫金山古墳の測量調査


2003年3月10日から24日まで、大阪府茨木市室山に所在する大阪府指定史跡紫金山古墳の測量調査をおこないました。今回の調査に当たっては、大阪府教育委員会と茨木市教育委員会からの指導を受け、また大阪第二警察病院や地元の皆様にいろいろとお世話になりました。この場を借りて深く御礼申し上げます。

 調査成果は、現在鋭意整理中です。ここでは、今回の調査の経緯と、調査中のこぼれ話を紹介します。

紫金山古墳とは?

 紫金山古墳は、後円部墳頂に給水用の貯水槽を建設する際に竪穴式石槨の一部が偶然みつかったことで、その存在が知られるようになりました。1947年4・5月に、大阪府教育委員会の古文化紀念物調査委員会の事業として、梅原末治を主査、小林行雄を担当者とする発掘調査がおこなわれ、竪穴式石槨の内部と壁体上部外縁から、三角縁神獣鏡や腕輪形石製品をはじめとする多様な遺物が発見されたことで知られています。

今回の測量の目的

 1947年の調査では、1m間隔の等高線で墳丘の平板測量がおこなわれました。その結果、小林行雄は紫金山古墳を、全長100メートル、後円部径76メートル、前方部幅40メートルの前方後円墳であると考えました。しかし、墳丘の正確な規模・形態・構造については、はっきりしないところが多く、異論も提起されています。そうした問題を現在の研究水準で再検討する作業の第一歩として、再度、墳丘の測量調査をおこなうことにしたのです。

測量調査の様子

 測量調査前、墳丘の大部分は下草や雑木に覆われており、古墳の形状がほとんど見通せない状況でしたので、最初に伐採作業をおこないました。茨木市シルバー人材センターに伐採の一部を委託しましたが、後は学生が手分けして伐採しました。並行して基準杭の設定をおこない、見通しがよくなったところで平板測量の開始です。今回は、最大で5組の平板を用いて作業を進めました。距離の測定には、携帯用のレーザー距離計を用いることで、作業の効率化をはかりました。

測量風景01測量風景02

近代化遺産?としての貯水槽

 紫金山古墳の後円部墳頂には、大きなコンクリート製の構造物があります(写真下)。

給水施設01

埋葬施設の保護施設と誤解されている方が少なくないようですが、これが、古墳発見のきっかけとなった貯水槽です。その周りの伐採を進めると、墳丘のあちこちで水道管がにょきにょきとつきだしていることがわかってきました(写真下)。どうやら、貯水槽を築造し、それにつながる水道管を配管する過程で、墳頂部分をはじめとする墳丘のあちこちが、変形されたり壊されたりしているようです。紫金山古墳の本来の規模や形態を復元するためには、まず、こうした後世の改変によってどこまで墳丘が改変されたのかを慎重に検討する必要がありそうです。

給水施設02給水施設03

(以上、吉井秀夫文責)


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