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京都大学考古学研究室の最近の調査活動から

青松塚古墳の測量調査


京都大学考古学研究室は、2012年8月22日から31日まで、大阪府茨木市室山に所在する青松塚古墳の測量調査をおこないました。今回の調査に当たっては、北大阪けいさつ病院より調査を許可していただき、また大阪府教育委員会と茨木市教育委員会からの指導を受けました。この場を借りて深く御礼申し上げます。

調査成果は、現在鋭意整理中です。ここでは、今回の調査の経緯と、調査中のこぼれ話を紹介します。

青松塚古墳とは?

青松塚古墳は、紫金山古墳の南側の丘陵上に位置し、隣接する南塚古墳や、南東方向にやや離れて位置する海北塚古墳と共に、大阪府茨木市域における古墳時代後期の首長系譜を考える上で、重要な古墳の1つです。1947年4・5月におこなわれた紫金山古墳の発掘調査時に、すでに露出していた横穴式石室内の発掘調査および墳丘測量がおこなわれました。玄室床面からは、須恵器(蓋杯・提瓶・器台など)・銅鏡(2面)・馬具(轡・鐙・杏葉・雲珠・馬鐸など)・武器(鉄刀・鉄鏃など)など多様な遺物が出土しました。また羨道前面からは、埴輪(人物・家など)もみつかっています。

今回の測量の目的

 1947年の調査時には、墳丘および石室が実測され、遺物の出土状況の記録も残されています。しかし、墳丘の規模・構造についてはさらに検討をする余地があります。石室の実測図についても、現在の研究水準からみて補足すべき部分があります。現在、当研究室では、1947年の調査時に出土した遺物の整理作業を進めており、今回、石室・墳丘の測量調査をおこなうことにより、この古墳の正確な規模・形態・構造を明らかにするための手がかりをえることにしました。

測量調査の様子

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 8月22日朝に大学から機材を搬出して、調査参加者は現地で集合。小形のテントを古墳の横に立て、機材を搬入しました。23日の午後4時頃に、現場はゲリラ豪雨に襲われましたが、このテントのおかげで、どうにか雨を避けることができました。

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 石室は、内部にたまった落ち葉をかきだし、割り付け作業ををおこなってから、各壁面の立面図・断面図と全体の平面図を作成しました。玄室内は湿度が高く決して快適な環境ではありませんでしたが、最大で5名の学生が入り、手分けして実測作業を進めました。1947年に作成された実測図との比較により、現在、石室内部は床面から50cmほど埋没していることが確認されました。

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 墳丘は、基準杭の設定およびトラバース測量を終えてから、視界を確保するために、必要最低限な範囲の灌木を伐採しつつ平板測量をおこないました。玄室の天井石が露出していることからもわかるように、墳丘の上半部はほぼ削平されてしまっています。ただ、羨道が開口している南側および東側では、墳丘の裾部と思われる高まりが確認されました。一方、北側の裾部は、病棟を建てるための造成作業に伴い、よくわからなくなってしまっているようです。

 天候にもおおむね恵まれ、測量調査は予定通り8月31日に終了しました。今回の測量調査により、青松塚古墳の石室および墳丘の残存状況および構造的特徴を把握することができました。今後、石室および墳丘の構築過程についての検討をおこない、その成果を報告書に反映していきたいと考えています。

(以上、吉井秀夫文責(2012.10.16))


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