書評 イアン・ハッキング『偶然を飼いならす──統計学と第二次科学革命──』(石原英樹・重田園江訳、木鐸社)
内井惣七
[教育上の使用のみに限る。引用等は、岩波書店『思想』903号、pp.136-140、1999年9月、よりされたい。]
1 本書の主要な議論
カナダの科学哲学者、イアン・ハッキングは、すでに一九七五年に『確率の出現』という、十八世紀前半に至る確率論の考察を出している。同じテーマの続編として一九九〇年に出た本書では、第一章の冒頭部分で次のような趣旨の主張がなされる。「偶然性」は chance の訳語でニュアンスがかなりずれるが、致し方がない。
二十世紀の科学において概念的な変革が幾つかなされたが、最も重要なものは非決定論的な量子力学の出現である。前世紀までの多くの科学者や哲学者が考えていたような、決定論的な因果性は覆され、過去は次に何が起きるかを正確に決定しはしないということになった。ところが、この出来事には、それに先立つもっとゆるやかな変容があった。十九世紀のあいだに、世界は規則的ではあっても普遍的な自然法則に従わないかもしれないという理解が可能になっており、偶然性のための場所が用意されていたのである。
本書の大部分は、ヨーロッパの諸国で統計的な調査がどのようにして行われるようになったか、その結果としての出版物(特に統計的な数字──「印刷された数字の洪水」)がどうのようにして自然と社会についてのわれわれの考え方(物理学を含め)を徐々に変革していったか、ということの考察に当てられている。全体で二十三を数える章のタイトルも、(原著では)しゃれていて小気味よい。一章一章を比較的短くして読みやすくする配慮と、リズムのよい文章が著者の持ち味である。しかし、多くの章にわたって時系列が行ったり戻ったりするので、時間的前後関係や流れの見通しは悪くなるという短所もある。また、もう一つの短所は、物理学(気体分子運動論、統計力学)への言及が乏しいことである。
さて、それでは、本書全体を通じてどのような「議論」がなされているのだろうか。イギリス流のよき伝統に従って原著の各章につけられているレジメが最良の手引きであり、第一章冒頭部分は次のようになっている(訳は、評者)。
十九世紀の間に決定論は浸食され、偶然性の自律的な法則のための場所が用意された。人間の本性という考えは、ばらつきの法則を伴う正常な人々というモデルによって置き換えられた。これら二つの変容は、並んで生じ、互いに影響を及ぼし合った。偶然性は世界の気まぐれさを減らすように見えた。つまり、偶然性は混沌の中から秩序を取りだしたのでその正当性を認められたのである。世界と人々についてのわれわれの考えのうちで、非決定論の程度が高ければ高いほど、制御できる程度も高いと期待された。(原著vii、訳書v。)
すなわち、物理学における決定論のかげりだけがキーワードではなく、人間社会に関する統計的な研究という、一見物理学とは無関係なもう一つの流れがあり、これら二つの相互作用を視野に入れなければ十九世紀の科学観の(ゆるやかな)変容はわからないというのが著者の基本的な「議論」である。この議論において、「自律的」と「正常」もキーワードであることがやがて明らかとなる。また、「制御」という言葉が示唆するように、偶然性または確率の科学に触発された倫理的・政治的態度(例えば、コント、デュルケム、ゴルトンなどの)も考察の対象とされる。
2 統計的数値の蓄積と統計法則の発見
決定論の浸食は、人間社会の「法則」がわかるようになって初めて始まった、とハッキングは言う。この「法則」とは統計的法則であり、人々が社会で諸種の分類を行なって「数え上げ」を始めて初めて姿を現した。ヨーロッパの各国、あるいは多くの都市で統計調査が行なわれはじめ、例えばフランスではナポレオン時代の終わりに「印刷された数字の洪水」(統計調査データの公表)が始まる。しかし、統計法則が認識されるには、数え上げに加えて、数値の中に規則性を読みとるセンスがなければならなかった。このセンスは、同じように統計局を備えていても、プロイセン(東ヨーロッパ)では育たず、ニュートンとロックの考えを結合して「道徳科学」(習俗と社会の科学)を提唱するコンドルセを擁したフランスと、コンドルセの考えを逆輸入したイギリス(西ヨーロッパ)で育った。啓蒙主義と理性の信奉者だったコンドルセの構想した道徳科学とは、「人間の精神そのものあるいは人々の相互の関係を対象とする科学」であり、やがて人間精神の進歩についての長期的展望という歴史としての道徳科学と、意志決定理論を核とするような数学的道徳科学という二つの領域に分かれていった。
ハッキングによれば、コンドルセの考えた道徳科学における法則は統計的法則ではなく、むしろ理性の法則だったのだが、十九世紀の統計学は(結果的に)コンドルセの考えを統計法則に読み替えて受け継いだのである。すでに十八世紀の初期に認識されていた男女出生比の統計的規則性に加えて、死亡数、結婚年齢の分布、離婚や殺人の比率、病気の頻度や死亡率、自殺の比率などが統計的法則に加わってくる。
3 ケトレによる平均値の実体化
しかし、「偶然の飼いならし」において大きなインパクトを与えたのはケトレである。測定誤差の分布がベル型カーブ、すなわち正規分布になることは、「誤差法則」としてすでによく知られていた。ところが、ケトレは同じような分布が人間の持つ多くの特性についても成り立つことを見いだし、これを社会学的法則として取りだした。ケトレはスコットランド兵の胸囲測定データと、コイン投げデータの二項分布(極限値は正規分布となる)とを比較してこの洞察に導かれたのである。同一のコインを何度も投げて表がでる頻度に現れる規則性、あるいは天文観測の誤差に現れる規則性は、実在の客観的特性であると考えられる。ところが、「ケトレはゲームを変えてしまった。彼は、同じ曲線を生物学的および社会的現象という、平均値が実在する量ではない現象に適用した。というよりも、むしろ、彼は平均値を実在量にしてしまったのである」(原著107、 訳書156)。また、ケトレは、大量の微小な原因が独立して働くことによって、集団の中の統計的安定性が生じると考えた。ケトレは次のように考えたのだ、とハッキングは分析してみせる。 一人の人間の身長を何度も測ったデータは正規分布する。そしてこの分布の中心には客観的な実在量があると考えてよい。ところが、多数の人間の身長の分布も同じ正規分布に従う。そして正規分布を満たすということは、集団を客観的に記述したと見なせる条件であり、その平均値を実在量と見なしてよい、という新しいステップがケトレによって導入され、そのつなぎを正当化するために微小な原因群という曖昧な形而上学が導入されたのである。
4 「正常」とそれに対する態度
次に、「偶然の飼いならし」におけるもう一つの主役、「正常 normal」という概念が現れる。「正常」は「病理的」と対をなす言葉であり、最初は医学で使われ、社会学などのほかの領域に広がっていった。ケトレが強調し、ゴルトンの命名になる正規分布の「正規」も同じ言葉であることに注意されたい。そこで、正常と病理的との連続性、正常値が両側の偏差が分岐する中心点になるという特徴が大きな役割を果たすことになる。啓蒙時代の「人間本性」という考えは、統計学では居場所をもたなくなったのである。 また、ハッキングが強調するもう一つの特徴は、「正常」が事実と価値とのつなぎ役としてアンビヴァレントな役割を果たすということである。一方では、正常なものは正しい状態であり、維持すべきものであるという価値判断(デュルケム)につながる。しかし、他方では、正常とは単なる平均値であり、改良されるべき状態と見なされる(ゴルトン)。
統計的法則の発見は、いまから見ると奇妙な「統計的運命論」という論争の種を生み出した。「犯罪や自殺の率が法則として安定しているのなら、社会も個人もそれに束縛されるではないか。自由意志はどうなるのだろうか」といった問題である(14、15章)。
しかし、統計法則の認識は、他方では、社会の条件を制御して変えることによって人間の行為の傾向性を変えることもできるという制御と管理の思想も生み出していた。この思想と、「正常」に対する態度の違いが結合すればどうなるか。例えば、ゴルトンの「優生学」への道のりは短い。しかし、優生学を手厳しく批判する、いわゆるリベラルな社会改革の立場も、制御と管理の思想は共有しているのである。
5 ゴルトンと統計法則の自律性
ハッキングによれば、「偶然の飼いならし」の過程において最後の仕上げを行なったのはゴルトンである。ゴルトンはケトレと同じく正規分布に感銘を受けたが、平均ではなく偏差の方に強い関心を持ち、それ故に回帰と相関という重要な統計的発見に導かれた。また、ケトレ流の「微小な独立原因」に訴えた正規分布の擁護にも満足しなかった。
人間の持つ卓越した特徴や才能(正規曲線の右側)の遺伝に関心を持っていたゴルトンは、才能の優れた人の子孫が凡庸さの方向に回帰(退行)するという統計的傾向性をいかにして理解するかという問題と苦闘していた。遺伝には特徴を次代に伝える担い手があるはずで、微小な独立原因という曖昧な考え方ではすみそうにない。そこで、ゴルトンが到達したのは、凡庸さへの回帰は、正規曲線の数学的帰結だという洞察である。第一世代と第二世代のいずれにも、ほぼ同じ平均とばらつきをもつ正規分布が現れる。しかし、第二世代の例外的な(才能豊かな)成員が、第一世代の同様な成員の子孫である確率は小さいのである。彼は、クインカンクス(五つ目型)というパチンコ台に似た物理的装置を使って、第一世代の正規分布が第二世代の正規分布にいかに伝達されるかを確認して、この洞察に達した。
要するに、凡庸さへの回帰を含む遺伝の現象は、統計法則を使って説明できる。統計法則がさらに深いレベルの決定論的法則や原因に還元できるかどうかとは関わりなく、統計法則自体が説明の基盤として使用されるようになった。これがハッキングのいう統計法則の「自律性」にほかならない。「統計法則は、現象を予測をするために使われるだけでなく、現象の説明にも使われうるようになったとき、自律的となったのである」(原著182頁、訳書270頁)。ゴルトンはこのような説明を自覚的に行ない、「微小な独立原因」への言及を不要にしてしまった。かくして、偶然は飼いならされてしまったのである。
6 コメント
以上紹介したのは、主要な議論の本線だけである。読み応えのある力作であるが、幾つか疑問となる論点はある。(1)まず、決定論の浸食は十九世紀に始まったというハッキングの見方に対しては、十八世紀の決定論の唱道者だったラプラスの1774年の初期の論文にすでに「統計的原因」の概念が現れている(ラプラス『確率の哲学的試論』、訳者解説、228)ことを指摘しておきたい。偶然の飼いならしは確かに十九世紀の出来事であろう。わたし自身も二十年ほど前に科学方法論の歴史を調べたときに同じような見方に導かれた。しかし、その後、ラプラスの仕事を調べて、ハッキング言うところの「飼いならし」の素材はほとんどラプラスにも見いだせることを知ってわたしは驚いたことがある。ラプラスは、壺の中の玉の割合、サイコロやコインの偏りなどを、決定論的原因とは区別される(人間の無知に相対的な)別種の原因と見なしていた。決定論の浸食は、決定論の主要な唱道者のうちですでに始まっていたことが推測される。
さらに、(2)ケトレの言う集団の平均値の実体化にまでは踏み込まないものの、ラプラスはケトレの「微小な独立原因」に似た考えもすでに表明していた(ラプラス同書、74、87)。ラプラスは、「不安定な未知の原因」とか、「擾乱を起こすきわめて多数の原因」という表現を使い、それらが互いにうち消し合うことで、最終的には統計的安定性が生まれることの説明を考えていたようである。こういった、前の時代の考えとのつながりをもう少しきめ細かく確認することが、ハッキングの研究を補うものになるであろう。
そして、最後に、(3)社会統計学から物理科学への「フィードバック」の部分は、ハッキングは直接には扱っていないことを指摘しなければならない。ダーウィン・ウォレスの進化論における統計的思考の分析についても同様である。もちろん、これは別の大著を必要とする難しい課題である。こういったところは、(すでに多くの研究があり)ハッキングがほかの研究者の仕事に依存している部分である。
最後に翻訳について少々注文をつけておきたい。単なる趣味の違いや文体の違いとしてではない、訳文や訳語の問題点がかなり見いだされた。例えば、第一章のタイトルは原著では「 The argument」という哲学者好みの強い言葉であり、著者の主張がカドを立てて提示されているのだから、「本書の概要」というカドをとってしまった訳はいかがなものだろうか。また、訳書の副題「統計学と第二次科学革命」も訳者が勝手につけたもの(327参照)で、誤解のもととなる。第七章でしか出てこない「第二次科学革命」という言葉は、クーンがある論文で用いた言葉であり、ハッキングはクーンの主張に異議を唱えるためにこの表現を使ったにすぎない。さらに、「conception」というごく普通の英語に対し一貫して「概念化」というワケのわからない訳がつけられていて読者は困惑する。曰く、「社会の天文学的概念化」(15章)、統計法則の「還元不可能になっていないような概念化」(21章、270)、「ゴルトンは・・・相関の概念化に到達した」(21章、279)。これらは、例えば「社会についての天文学流の考え方」とか、統計法則を決定論的法則に「還元不可能とまでは見なさない考え」とか、「ゴルトンは・・・相関の考えに到達した」とでも、さらりと訳すべきもの。しかし、本書のような難しい翻訳をものにした訳者の労は多としたい。このレベルのオリジナルな仕事が日本人学者によって出されることは、まだ当分期待できそうにない。*
日本でも関西を中心に「統計史研究会」が共同研究を行なってきたことをつい最近知った。このグループの成果は『統計と統計理論の社会的形成』(長屋政勝・金子治平・上藤一郎編)、北海道大学図書刊行会(1999年6月)として出版されており、全4巻となる予定。
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September 6, 1999; last modified March 8, 2000. Soshichi Uchii