Miscellanies

Between Humanities and Sciences

Soshichi Uchii

[京大広報 Dec. 2001「洛書」原稿]


 

文理の溝 内井惣七

文系、理系の学問や知識、人文学と科学との溝が言われ始めてすでに長い時間がたつ。チャールズ・スノーの『二つの文化』、初版は1959年だから、これから数えてもすでに40年を越す。いまさらなぜこんな古い話を持ち出すのか、と不審に思う読者もおられよう。しかし、わたし自身はこの「溝」の両側、ないしはそこにかかる不安定で細い橋の上を行き来してきたので、このテーマは切実な問題だと感じ続けている。

わたしは工学部の専門課程に進む頃から哲学への転身を考え始めた。別に哲学の「京都学派」にあこがれたからではない。当時、新しい哲学といわれていた「論理的経験論」、あるいは「科学哲学」のいくつかの著作に感銘を受けたからである。この流れ、あるいはその近辺にいた、カルナップ、ライヘンバッハ、ヘンペル、ポパーなどは、いずれも、何らかの形で「文理の溝」を渡って新しい哲学を築こうとした人たちであるが、ここでは、そんな高尚な話ではなく、下世話な例で「文理の溝」を例証しよう。

わたしが四回生の時、卒業研究で配属された研究室の教授にわたしの転身のもくろみが伝わってしまい、「きみ、文学部へ何しに行くんや、小説家にでもなるつもりか?」と一喝された。腹の中では「××か」とうそぶいたが、「だからといって、実験の手は絶対に抜きません!」としおらしく答えて切り抜けた。もちろん、学友諸君にも「変人」と見なされる。親も例外ではなく、「なに、哲学?役立たずになるのか!」。はたまた、学士入学の手続きに訪れた文学部の窓口で、親切な事務員の方が、「あなた、せっかく工学部出たのだから、文学部みたいなところに来るのはやめなさい」と忠告してくれるありさま。ご忠告はありがたいが、こちらはアメリカ留学を考えていたし、工学部のペースで2年間やってきた身にとっては、(1965年当時の)文学部は何と鷹揚でゆっくりとしたペースのところか、と半ばあきれたことも事実。定年がそろそろ見えてきたいまでも、わたしは文学部の中では名うての「イラチ」で通っている。つまり、「溝」は学問だけでなく、それをやる者のライフスタイルにもかなり反映されているふしがある。

この手の話は、修行時代だけではない。「科学哲学者」に対する最大の侮辱は、「科学を知らない」と「哲学を知らない」という文句である。つまり、「溝」を埋めようと奇特な努力をしているにもかかわらず、「溝」の両側から攻撃を受ける。文学部に「科学哲学科学史」の講座が新設されたのは1993年のことだが、わたしは倫理学講座からこちらに移った。欧米では、まずこんな事は考えられない。例えば、19世紀ウィーンのマッハやボルツマンが「倫理学」を教えるところを想像するのはむずかしい。哲学でも「専門化」がはるかに進んでいるのである。もちろん、科学での専門化の流れが、こちらにも波及しているのであろう。そこで「科学を知らない」というけなし言葉にも注意が必要となってくる。例えば、物理学者は進化生物学に通じているのか?分子生物学の人は一般相対論の基本概念を知っているのか?タテ割りの溝を何らかの形でカバーできる学問や人材が必要なはずである。

実は、わたしの文学部での講義に際しての、大きな悩みのタネの一つも、似たようなところにある。科学哲学の入門講義でまず絶対に取り上げなければならないのは、近代科学の模範だったニュートン力学である。ところが、最近の学生の大半は物理学を知らない。「運動の三法則」といっても知らないのだから、その前から説かなければならない。これは、文学部だけの事情だと誤解しないでいただきたい。理学部で、生物系で院に進学しようかという学生でも、高校、大学と物理学をとっていないという学生が珍しくないのだから恐れ入る。「物理学は、われわれの文化の重要な一部ではないのか?」と思うとき、わたしは「物理系人間」にされるのだろう。ともあれ、細い橋の上で警笛を鳴らし続けるしか道はない。 (文学研究科、科学哲学科学史)


Last modified November 15, 2001.
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