科学と哲学のはざまで、京都から何をどのように世界に向けて発信するか

(文学研究科フォーラム、アブストラクト)

A Bridge over the Two Cultures

内井惣七

わたしの専門は、「科学哲学科学史」という日本ではマイナーな領域である。簡単に言えば、科学の学説史など、歴史的な事例(現代の事例も含む)を調べ、科学的研究の実態を明らかにしたうえで、科学的方法のエッセンス、科学的知識の本性を明らかにしていく、またあるべき科学研究の姿を探る、といったことを課題としている。当然、科学を知らずして科学哲学はできないということになるし、例えば物理学だけをモデルにして科学全般に一般化した議論もできないということになる。したがって、わたしの場合、物理学にも生物学にも目配りをし、力学や相対性理論をもとにして空間と時間の哲学をやる一方で、ダーウィン以後の進化生物学をふまえて、進化論が提起する哲学的問題を探る、といった研究をやっている。

そういった研究のどこがおもしろいのか。簡単に言えば、いわゆる文理の両側にまたがるところが大きな魅力である。また、ニュートン力学や相対性理論といった、哲学とは決別したように見える具体的な科学理論においても、基本的なところにさかのぼっていくと、伝統的な哲学の問題がやはり顔を出す、というところがまたおもしろいところである。そういったことを、「ダーウィンとアインシュタインはどこが似ているか」という具体な問いに答えながらお話ししたい。

ただし、こういったおもしろさを伝え、この分野での研究者を養成するためには大きな困難もある。それは、やはり文理の知識や研究の間の大きな溝があるということである。文学部、文学研究科でこの分野の研究と教育をやるには、相当大きなハンデがあると言わざるを得ない。それが、「文理の溝にいかにして橋を架けるか」というわたしが長年取り組んできた課題にほかならない。

つぎに、「京都と世界」というテーマにふれよう。東洋や日本についての情報を日本から発信するのは当然のことである。京都からの発信も、わが京都大学が日本で重要な地位を占める教育研究機関であることを自認するなら、これまた当然のことである。乱暴な言い方をすれば、京都にデンと座っておれば、全国から、あるいは海外から「お客様」が情報を求めて来てくれる。 ところが、わたしのように、「科学哲学科学史」という、日本ではマイナーな学問領域に属し、わが京都大学文学研究科のなかでも歴史の浅い研究室(創設は1993年)にいるものにとっては、「老舗」の研究室のようなわけにはいきにくい。いわば、新参者として、お客様(学生諸君)を集め、同業者(国内外の研究者や学界)にアピールし、地盤を開拓しなければならない。

しかも、それはまだ小さなことである。わたしの専門の場合は、文系と理系のはざまというか、どちらとも関係が深く、しかもどちらにも入りきらないタチの研究をやっているので、このシンポジウムのほかの先生方とは少々事情が異なるのである。わたしの研究領域については、京都は世界のなかで「僻地」だと言っても過言ではない。こういう立場では、「何を」「どのように」、世界の僻地、京都から発信すべきかという問題が切実になってくる。この点で、わたしがこれまでやってきた「ウェッブ活用」のささやかな実績をご紹介したい。

以上のように、科学哲学研究のサンプルを簡単に紹介し、京都大学の科学哲学科学史研究室で、わたしが前述の課題にどのように取り組んでいるかをある程度具体的に解説していくなかで、このフォーラムのテーマに対するわたしなりの答えを示したいというのが大まかな構想である。


副学長陣頭指揮、文学研究科肝いりのイヴェントとあっては、わたしの個人的な好みの如何を問わず協力せねばなるまい。わたしは舞台に立つと次々とアドリブが出るタチなので、注意はするつもりだが「××、××」が最低数回は口をついて出るかもしれない。(わたしの話の本体部分はNewsletter 46 に再構成したので参照されたい。)こういったあからさまなPRイヴェントに出たからといって、事情を知らん××が「内井はまた堕落したのか」などとツマラン勘ぐりをするのはヤメにしてもらいたい、まったく。片目が失明しかけとるのに、誰が喜んでなどやるものか。ただ、やるからにはオモローするよう努力するのがつとめじゃ(聞きに来てくださった人々に対する義務じゃろうが!)。××か、ホンマ!

Last modified July 12, 2002. (c) Soshichi Uchii

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