2009年度 講義題目

2009年度 講義題目
特殊講義 氣多雅子 火4 宗教哲学の思索の地平とその限界  
  宗教哲学の思索の特質、その思索の地平とその限界ということを基本的な問題関心として、ハイデッガーや西田幾多郎や西谷啓治の哲学思想、さらに仏教思想について考察する。
  ハイデッガーのブレーメン講演(1949年)においては四方界をめぐる重要な思想が展開されているが、そこで決定的に重要なのは「取り集め(Versammeln)」という概念である。取り集めということが起るには、その前に散らばっていなければならない。1928/29年冬学期講義『哲学入門』では、現有の撒き散らし(Zerstreuung)と散らばり(Streuung)という概念が論じられている。これらの概念を手掛りとして「取り集め」とはどういう事柄であるかを考察する。さらにそこから、現代技術についての考察を展開してみたい。
  次に西田の『善の研究』を扱う。
特殊講義 杉村靖彦 水4 証言と自覚―現代フランス哲学と日本の哲学(3)   昨年度の授業では、ハイデガー批判という観点から、現代フランス哲学(リクール、レヴィナス、ナベール、デリダ、アンリ等)における証言の概念と西田や田辺における自覚の概念との思索上の接点を探り、ヘーゲル弁証法の独自の捉え直しという観点から、両者が身体性、社会性、歴史性といった問題への展開において多くの着想を共有しうるであろうという見通しを示した。本年度の授業では、この見通しを、個々の哲学者どうしの突き合わせを通してさまざまな角度から具体的に検証していくことを目指す。突き合わせの例としては、西田の「歴史的身体」とアンリの「プラクシス」、田辺の「死者と生者の実存共同」とリクールとレヴィナスの死者論などが考えられる。そうした作業を通して、上のフランス哲学者たちがそれぞれの仕方で模索する「単なる歴史叙述とは別の歴史性」に照らして、西田や田辺の歴史哲学を新たな姿で捉える道を開きたい。それとともに、そうした思索が「宗教哲学」と呼びうる思索の現代における可能性とどのように関係するかを明らかにしていきたい。
特殊講義 深澤英隆 集中 ドイツ新異教主義宗教運動―視覚文化と宗教思想の側面から   本講義では、ドイツ語圏で19世紀末ごろより展開された、新異教主義(ゲルマン主義)宗教運動の歴史的展開と、その宗教的世界の諸側面を論じることにしたい。キリスト教圏においては稀な規模で展開された非キリスト教的宗教運動であるこの新異教主義宗教運動は、19世紀後半の宗教状況の変容、ドイツ国民主義や人種主義の勃興、宗教史学の生成などのさまざまな歴史的要因を背景として成立し、後のナチ政権のひとつの有力な生成母体になるとともに、同政権下において活動を禁じられ、宗教運動としての生命を終えた。とはいえ、現在は欧米におけるいわゆるネオ・ペイガニズムの流行に連なる形で、再び活動の幅を広げてもいる。本講義では、特に戦前期の同運動における宗教思想および視覚文化としての側面に注目しつつ、この宗教運動の目指したものと、その宗教史的意味について論じる。また可能な限り、戦後期から現在に至るこの運動の動向にもふれ、戦前期との比較をも試みる予定である。
演習 氣多雅子 火5 ニーチェ『善悪の彼岸』を読む   ニーチェの『善悪の彼岸』は1884~5年に執筆された著作である。1882~5年に執筆された『ツアラトウストラはこのように語った』と並んで、ニーチェ自身が公刊した著作としては、最も成熟した思想を読み取ることができる。「序言」が「真理が女であると仮定したら―、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断論者であった限り、女たちを間違って理解してきたのではないか、という疑念は、根拠があるのではなかろうか。」という問いから始まっているように、この書では、哲学や道徳や宗教に対する徹底的な価値転換の主張が展開される。テキストを共に読解し、二〇世紀の哲学に決定的な影響を与えたニーチェの価値転換の思想を検討していきたい。
演習 杉村靖彦 水5 ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』を読む  
  ベルクソンの晩年の主著であるこの著作は、フランス・スピリチュアリスムの一つの到達点であり、フランス系の宗教哲学の重要な発想源の一つである。近年ベルクソン研究が新たな盛り上がりを見せているが、この著作の哲学的意義を十分に引き出しえた読解は思いのほか少ない。そういった状況を踏まえて、本演習では、テキストの内在的な読解と合わせて、ベルクソンが取り組んだ問題そのものを抽出し、それを根本的に検討していくという読み方を心掛けたい。
  本演習は昨年度からの続きであり、本年度は第三章「動的宗教」を読む。ここで展開される独特の神秘主義論は、ベルクソン思想の内部での特殊な議論にとどまらず、哲学者の神論、ないしは哲学者のキリスト論といったより広い問題枠組に置き直すことで、その意義と問題点が見えてくるものである。そういった点にも目配りしつつ、演習を進めていくつもりである。
  第二章の内容は最初の授業で簡単に説明するが、とくに今年度からの受講者には、日本語訳ででもその内容を確認してから授業に臨むようお願いしたい。
演習 神尾和寿 金1 ハイデッガーの言語論を読む  ハイデッガーの『言語への途上』(Unterwegs zur Sprache)所収の論文の読解を通して、有(Sein)を思索する言葉のあり方を洞察し、議論していく。
演習Ⅱ 杉村靖彦 金3・4
(隔週)
宗教哲学基本文献演習  宗教哲学に関わる基本文献を何点か選んで、教師またはチューター役の大学院生が解説をし、それをもとに質疑応答および討論を行う。専門的な学習の橋渡しを意図して開講された演習であるので、宗教学専修の三回生は必ず参加されたい。宗教学専修の他の学部学生にも、可能な限り参加することを推奨する。
演習Ⅱ 氣多雅子
杉村靖彦
金3・4
(隔週)
宗教学の根本問題  演習参加者が、宗教学の諸問題のなかで各人の研究するテーマに即して発表を行い、その内容をめぐって全員で討論する。宗教学専修の大学院生は必須である。
講読 重松健人 木3 「沈黙」と「言述」の現象学   主としてメルロ=ポンティ、リクールの研究者として知られ、現象学、政治哲学ならびに言語哲学を専門とする現代アメリカの哲学者、Bernard P. Dauenhauer (1932-) の著作、『沈黙―現象とその存在論的意義』を読み進める。この書でDauenhauerは、「沈黙」を単なる言述の欠如ではない、active performanceととらえ、「沈黙」と「言述」の相互作用の現象を、メルロ=ポンティ、ハイデッガー、ピカートらの思想をベースに考察を展開している。
  講義では精緻な訳読と内容の深い理解を心がけながら進めていく。
講義 氣多雅子 月5 宗教学講義  
 ≪宗教哲学を中心として、宗教学について概説する≫ 宗教学とはどのような学であり、どのような必然性をもって成立してきたかを概説する。その上で、宗教研究には、神学、宗教哲学、宗教社会学、宗教心理学、宗教人類学、宗教現象学、宗教史などのさまざまな方法と分野があることを紹介し、そのなかで宗教哲学に焦点を絞って、その展開と問題点を説明する。このような考察を通して、宗教とはどういう事象であるか、近代において宗教との関わり方はどのように変容したか、現代社会の脱宗教性のもとで宗教的であるということはどういう意味をもつのか、等の問題について迫ってみたい。