[D3]山田貴裕 形而上学/時間の実在論論争

日本学術振興会特別研究員DC2 2011-

「ものごとは、そして広く「世界」は、我々から独立して存在していると考えるべきなのか」。 これが実在論論争の主題です。 ここでイエスと言うのが実在論で、ノーが反実在論です。 実在論は、世界を、人為を介さぬ固定したものと見る見方で、いわば静的な世界観です。 他方、反実在論は世界を動的なものととらえます。 では、どちらが適切なのでしょうか。 私はこの論争を、「時間」の側面に即して考えています。 すなわち、過去や未来のものごとは我々から独立に存在していると考えるべきなのか。 例えば、私は六年前のあの日、雨傘を差して先輩たちと立ち話をしたことを覚えています。 しかし、この事実を信じる根拠は、この記憶をおいてほかにありません。 では、私がこのことを忘れても、その過去の事実はそのまま在り続けると考えるべきなのか。 私は、ノーだと思います。 忘却は、事実をともに消し去ってしまう。 少々ロマンチックに言えば、我々が思い出を大切に思うのはきっとその故に違いないのです。 しかし、こうした直観的なアイデアは曖昧すぎて、そのままでは良し悪しを論じられません。 多くの論者が工夫を凝らしてきたのはそのためです。 例えば M. ダメットらは、同時に採用される意味の見方に着目して議論しました。 しかし私は、さらに存在と知識についての見方も必要だと思います。 私が見るに、実在論論争は、世界の見方を総動員して決すべき論争なのです。 【2011,06,20】


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