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文献文化学専攻 中国哲学史専修

講座担当教官

教授 池田 秀三
(中国古代中世思想史、近年の主要研究テーマは漢魏の学術思想)

〔著書・論文〕
『説苑−知恵の花園−』(中国の古典 講談社・1991)
『自然宗教の力―儒教を中心に』(『現代の宗教』16岩波書店・1998)
「『白虎通義』と後漢の学術」(小南一郎編『中国古代礼制研究』京都大学人文科学研究所・1995)

准教授 宇佐美 文理
(中国近世思想史、とくに藝術理論史)

〔著書・論文〕
「宋代絵画理論における「形象」の問題」(『日本中国学会報』第50集・1998)
「「線」と「かたち」―敦煌北朝期の壁画を手がかりとして―」(『人文科学論集』信州大学人文学部第35号・2001)
「雑家類小考」(『中国思想史研究』第25号・2002)
『歴代名画記』――〈気〉の芸術論 (書物誕生 あたらしい古典入門 岩波書店・2010)

教授 麥谷 邦夫
(中国道教思想史)

〔著書・論文〕
『真誥研究(訳注篇)』(吉川忠夫と共著)(京都大学人文科学研究所・2000)
「唐代老子注釈学と 仏教」(『北朝隋唐仏教思想史』法蔵館・2000)
「穀食忌避の思想―辟穀の伝統をめぐって―」 (『東方学報(京都)』72・2000)

教授 武田 時昌
(中国科学史)

〔著書・論文〕
「灸経から針経へ−黎明期の中国医学とその史的展開」(田中淡編『中国技術史の研究』pp.555-598・1998)
「祖沖之の数学的業績(1) 円周率の算定」(『東方学報(京都)』72、pp.658-690・2000)
「孔子の予言書−緯書の偽作と孔子説話」(『説話・伝承学』8、pp.14-27・2000)

教授 船山 徹
(仏教思想史)

〔著書・論文〕
「捨身の思想―六朝仏教史の一断面」(『東方学報』京都第74冊・2002年)
「五六世紀の仏教における破戒と異端」(『中国中世社会と宗教』・2002年)
「梁の僧祐撰『薩婆多師資傳』と唐代佛教」(『唐代の宗教』・2000年)

講座案内

 文学部の専修案内に、私どもは「中国哲学史は、中国人の思索の歩みを研究する学問である」、 「中国人が何をどのように考えたかを知ること、中国哲学史研究はこの一事につきる」と記した。 中国人の思想的営みを歴史文化の一環として把握すること これが中国哲学史に対する私どもの一貫した基本的姿勢である。 従って、学部と大学院において研究教育内容が根本的に異なることはあり得ない。 大学院の研究教育においても、学部におけると同様、 「一切の先入観を捨て、中国人の立場に立ってその思考を跡づけることがまず必要であり」、 そのために「何よりもまず中国古典、いわゆる漢文が正確に読めることが必要である」ことに 何の変わりもない。

 大学院生にとっても、やはり「漢文講読力修得が第一の肝要事である」。 ただし、研究者養成を主要目的とする大学院においては、当然のことながら、 学部よりはるかに高度な学力が要求される。 文意の正確な理解はもとよりのこと、その文献の文献学的考証、書かれた時代の状況、 著者の生い立ちなどを正しくふまえた上で、内容のみならず用語や表現にまで鋭敏に反応する能力を 修得しなければならない。 読むことに関しては、修士修了の段階で、少なくとも自らの専門分野については 独立した研究者としての能力を身につけてもらわなければならない。

 しかし、学力養成のみが大学院教育の目的でないことは言うまでもない。 その最終目的は独創的研究者としての基盤を確立すること、 具体的にいえば学位(修士・博士)論文を完成することであって、 文献処理の精確さはその不可欠の前提にすぎない。 ただ、この目的は全て院生諸君自身の力によって達成されなければならない。 何を研究題目に選ぼうと、いかなる研究方法をとろうと、それはまったく諸君の自由であり、 私どもは原則として口出しはしない。 というよりむしろ、誰の模倣でもない君独自の問題意識と方法でなければ困るのである (念のために注意しておくが、このことは先人の研究成果への敬意と学習が不要であることを 意味するものでは決してない)。 むろん私どもは、研究計画の策定、執筆項目の設定、参考文献の指示など できる限りの“指導”は惜しまない。 が、それはあくまで技術向上のためのコーチングにすぎないのであり、 研究の遂行は全て君自身の主体的責任と意欲によって果たされるべきものであることを 銘記しておいてもらいたい。


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